ドラマ「SPEC」が傑作ドラマになりきれなかった理由をドラマ「TRICK」の演出から考える

ドラマ「SPEC」が傑作ドラマになりきれなかった理由をドラマ「TRICK」の演出から考える

TVドラマ『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』(2010年TBS系列で放映。以下SPEC)が3DSでゲーム化されるという。

3DS「SPEC~干~」10月3日に発売。ドラマの未公開エピソードが楽しめる – GAME Watch

SPEC~干~

SPEC~干~

posted with amazlet at 14.07.11
バンダイナムコゲームス (2013-10-03)
売り上げランキング: 4,738

ドラマ『SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜』(以下SPEC)は、映画の出来があれ程酷かったにも関わらず、ゲーム化・マルチメディア展開するという、ある種のクリエイターの意地のようなものは感じた。
ドラマについても、結局面白かったのは最初の数話だけで、徐々に脚本破綻していき、終わってみれば尻すぼみだった。
当初の期待値はとんでもない程に自分の中では高かった。

「あの伝説ドラマ『ケイゾク』を超えるかもしれない」と、テレビを普段見ない自分にしては、珍しくリアルタイム(オンデマンドTV)で見ていたドラマだ。
だが、見終えた頃は、このドラマ『SPEC』が何故失敗作とは言えないまでも、当初の期待値通りの傑作ドラマの域まで達しなかったのかが不思議で、或いは残念で、ずっとその事を考えていた。

今回は、ドラマ『SPEC』が何故、当初予想された通りの傑作にならず、終わってみると微妙な内容の中途半端な作品になってしまったのかについて、考えてみる。
(記事中にドラマのネタばれがあります。)

SPEC~天~ 警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿(予告編)|PlayStation Japan

『TRICK(トリック)』の演出手法

SPECについて語る前に、同じTBS系列のドラマ『TRICK(トリック)』について見ていきたいと思う。

ミステリードラマ『TRICK(トリック)』はバカミス*1であり、その設定はばかばかしくスラップスティック、或いは喜劇のようにも見える。
設定のばかばかしさは「巨根(上田次郎)⇔貧乳(山田奈緒子)」「馬鹿だが高名な物理学者(上田次郎)⇔赤貧だが腕の立つマジシャン(山田奈緒子)」に始まり、こうした小ネタを積み重ねてその奇天烈な世界観を構築するという手法を採っている。

比較的常識人の山田が突然変顔をするかと思えば、比較的変人の上田が山田に論理的な突込みをして協力せざるを得ないよう誘導したり、とこうしたシーンはドラマのあらゆる場面で見られる。

一方で、ロケ班はスタジオでなく必ず現地でやるという徹底さで、堤(幸彦)ディレクターの独特な演出もあり、妙なリアリティを生み出していた。

そして、『TRICK(トリック)』においては、ミステリはミステリとしてきちんと段階が踏まれ、「謎の提示からそれを解明するパート」という構成は崩さず、視聴後にミステリ作品としてのカタルシスがあった。
カタルシスがあるからこそ、『TRICK(トリック)』におけるばかばかしい設定の数々も、最後にドラマとしての落ちまで締まる。

逆にあそこまでばかばかしい世界観だと、ミステリとしてのカタルシスがないドラマは成立しない。
そうしたミステリとしてのカタルシスは担保されているが、一方『TRICK(トリック)』におけるロジックとしてはかなり”おざなり”だった。

ドラマ『トリック』における(主に物理的な)トリックは、現実的にロジカルに可能なものではなく、どちらかというと「ドラマの演出の都合上において」「カタルシスを出す装置」として使われている。

SPONSORED LINK

エピソード3「パントマイムで人を殺す女」での演出例

典型的なのがエピソード3「パントマイムで人を殺す女」だろう。
この話では当初、「離れた場所で殺人を行うのでアリバイを証明するために監禁してもらいたい」という、一見して頭のおかしいとしか思えない女を持て余した刑事の矢部が、大学教授の上田に一方的に押し付ける所から物語が始まる。

「母の泉」の件で山田の手品師の知識から来るトリック暴きの資質を知っていた上田は、今回も金で山田をこの厄介な件に引き込む事に成功する。
上田に報酬を約束された山田は、仕方なく大学の研究室で一晩、上田、そしてその女と一緒に過ごす事になる。

女は夜中に突然パントマイムを始め、たった今殺人をしたので死体を捜して欲しいという。
実際に、大学から離れた場所で、女の言うとおり死体が発見されるが、女のアリバイは同席していた上田と山田が証明してしまう事になる。

山田は、トリックを使えば女が大学を抜け出して殺人をする事も出来た、と言う。
山田は一見可能であるかのような物理的なロジックを使って解明を試みるが、女に論理の矛盾を衝かれてその説は呆気なく破綻する。
更に、その後も女が殺したという死体が発見されるが、ひょんなことから上田と山田は女のトリックを見破る。
それは、ミステリ界では使いつくされたトリックであり、現実ではとても有り得ないと思われるものだった。

当初、ロジカルな現象を提示しておき、破綻させる。真相は使い古されたネタで、現実にはとてもロジカルとは言えないようなトリックを持ってくる。
これがドラマ『TRICK(トリック)』のやり方だった。

『SPEC(スペック)』の演出手法

SPECはどうだったか。
SPECはドラマの様式美の構築としては物凄く意欲的な作品であり、当麻の推理シーンでは書道でキーワードを提示し、視聴者にも考える場面を提示し、半紙を千切った紙吹雪が舞う演出がされていた。

ドラマ『TRICK(トリック)』が自称「超能力者」のトリックを赤裸々に暴いていく、という筋書きに対してドラマ『SPEC』では、超能力者の能力は「本物」で、その相手をする当麻はIQ201という超人的な頭脳を持つ天才として、知略を駆使して立ち向かう。
言わば「超人vs超人」の構図で、能力者同士の心理戦・トラップの掛け合いが、ドラマのカタルシスの一つとしてクローズアップされる。

反面、『TRICK(トリック)』のように「あの超常現象は如何にして行われたのか」というトリック暴きの部分は『SPEC』ではほとんどない。
ドラマ内においてのSPECという能力が本物なのだから、トリック暴きがない以上、そこでの推理は行われない。
ドラマ『SPEC』では、超能力(SPEC)を扱った以上、こうしたカタルシスを生み出すミステリの筋立てを行うことが難しいため、「如何にして能力者同士の対決を盛り上げるか」という部分が、本来はカタルシスを生み出す方向に向かわなければならなかった。

ドラマのカタルシスを感じさせたSPECの序盤と七話

『SPEC』のドラマの序盤は、左手の使えない当麻(紗綾)、奇妙な兆弾現象に遭遇する瀬文(焚流)と伏線を設置しながら、次第にSPECという能力者の存在が炙りだされて行き、超人対超人の戦いに焦点が当たる。
これが最も上手くいき、個人的にカタルシスを感じたのは、「甲の回」(第1話)、「乙の回」(第2話)、「庚の回」(第7話)の三つだったと思う。

簡単に説明するとSPEC一話は若手政治家が死の予言を受け実際にパーティーで殺害され、犯人がどうやって犯行を成し遂げたのかという「ハウダニット(How done it)」の話し。
SPEC二話は、千里眼の能力を持つという死刑囚から、当麻と瀬文に挑戦状が来て、どちらが先に過去の未解決事件の真相を探るかの勝負。
SPEC七話は、当麻対心を読む女との戦いである。

SPECは一話の時点では、まだ誰にも展開が読めない状態で、ドラマ『ケイゾク』の続編という触れ込みもあり、ミステリドラマだと思われていた。
事実、終盤までは、ほとんどそのようなストーリーだった。
一話は殺害とその隠蔽が行われたのは、SPECによる能力であるという、SPECを前提とした推理の構築という点はあったものの、ほぼ純粋なミステリといっていいと思う。

二話は意表を突いた構成で、一話と並んで最も好きな回のひとつである。
死刑囚からの犯人探しの挑戦状を受け、過去の迷宮事件の謎を追い、真相に辿り着いたと思いきやという、完全にミステリ仕立てのドラマとなっていた。
最後にこのSPEC能力者の能力外の殺人が予告通り起こるが、そこはご愛嬌か。

このミステリを基本の進行として、そこに本当に超常能力を持つ人間がいるという設定を少しずつ加えていくのが、SPECにおいては最も正しい構成だったと思う。
事実それは(ドラマ的に盛り上がりに欠けたとは言え)SPEC三話辺りまではある程度成功していた。

SPEC七話は預言者の奪還と阻止という、これまた超人vs超人の対決になり、読心能力を持つ相手に対し、能力者が取る行動を先読みしてその先にトラップを仕掛けるという、息詰まる頭脳戦が展開された。
七話は純粋にミステリとは言えないものの、当麻が如何にして相手を打ち破る奇策を仕掛けるというカタルシスがあった回だと思う。

「丁の回」(第4話)以降は脚本がおざなりに

しかし、SPECにおいてこれ以外の回は、個別に伏線や伏線の回収はあったにせよ、ドラマとしてのカタルシスは低調だった。
「丁の回」(第4話)の話は冒頭の奇想、設定の奇怪さ、演出の見せ方、奥貫(薫)さんの美しさなどはよかったが、論理的な帰着が余りにも弱かった。

「丁の回」では一応、ミステリの手続きに則って当麻は能力者暴きはするわけだが、見ていて数々の疑問が解決されないままで釈然としなかった。

自殺願望のある娘が自殺志願者同士のネットワークに参加し行方不明になった。
しかし生きていた娘がグループの幹事として会を主催している。
現地で応募した母親を見た時点で何もしないのだろうか?
明らかに自殺目的以外で来た部外者がいても、油を撒いてバイクで逃げ出すのは何故か?
そもそも犯人は何故自殺サークルを主催し続けるのだろうか?

これらの疑問が全く明らかにされないまま、幹事は娘という事実が確定し、SPECホルダーの能力が暴走し、ドラマとして飛躍しすぎで、視聴者はカタルシスが得られない。
ドラマ『TRICK(トリック)』では、こうした馬鹿馬鹿しさ、突飛の無さも沢山あるが、「トリックではこういう事も許されるんです」という、触れ幅の大きさを最初から強調して世界を構築しているので、まだ見ていて許せたのだろう。

が、SPECでは、キャラクターに設定として馬鹿馬鹿しさがあったり、SPECホルダーという超人が実際にいるという世界設定はあっても、事件が起きた原因の論理性を視聴者に対してきちんと提示すべきであり、そこを濁すべきではなかったと思う。

ニノマエを舞台装置として上手く扱えなかったSPEC

SPECのドラマ後半においては、時間の中を高速で動く「ニノマエ」の行動が、クライマックスに向けてクローズアップされていく。
「未詳vsニノマエ」という対決の構図が描かれていくが、SPECホルダーの「サトリ」や「ニノマエ」の属する組織の詳細を何一つ明らかにせず、ニノマエが少し暴走するだけで、SPECホルダーの組織が簡単に壊滅してしまう。
日本の指導者達も、SPECホルダーに対して、警察内部に対抗組織を作っているが、これも呆気なくニノマエに屈服してしまう。
ニノマエの能力が凄いのは分かるが、ここでも飛躍しすぎなのだ。

ニノマエと当麻との対決をクライマックスに持っていくためなのは分かるが、余りにも現実から乖離しすぎていて、視聴者としては脚本が間に合わなかったのかと白々しい思いにさせられてしまった。
視聴者が望むのは「当麻vsサトリ戦」のような能力者同士の行き詰る心理戦の様相であり、ロジックのあるやり取りである。

しかし、実際に行われたのは、相手がいつ来るかも分からない場所に、毒物の散布装置を現場に設置して、寸分の狂いも許されないタイミングで毒を空気中に散布し、最後は毒を撒けば体内の時間速度が速いニノマエが先に倒れる筈、というロジックというには大味な展開でクライマックスを押し切ってしまった。

毒を撒く装置のトラップを思い付いて、直ぐ用意出来るものなのか。
用意出来たとして、いつ来るか分からない敵を、その場から動かずにずっと待っていられるのか。
そんな問いを発しても虚しいだけだから辞めておこう。

ケイゾクの朝倉オマージュについて

最終話の地居聖については突っ込むのは無粋というもので、『ケイゾク』の朝倉オマージュだということが誰の目にも明らかなので、あれでいいのかもしれないとも思った。
ただ、同じ堤幸彦監督によるドラマ『ケイゾク』とは、ドラマの凄みというか、熱量というべきか、そういうものの違いは感じた。
『ケイゾク』での真山徹役の渡部篤郎さんの狂気を孕んだ演技、ドラマ全体の持つ凄まじいエネルギーとエントロピー、そういうものの総量が『ケイゾク』と『SPEC』では全く違う感じがした。

瀬文と当麻について

他には、SPECの肉体バカ刑事・瀬文焚流役の加瀬亮さんが、キャストとして弱かったかなという印象。
加瀬さん自身の演技は好きだったが、演者とドラマの人物設定とのミスマッチがあった気がする。

演出として指定されたのは、「瀬文焚流役の設定は軍人。とにかく重く」 それしか演技の方向で言われなかったそうだ。
「部下思いで軍人で華奢なのに肉体バカ」という瀬文焚流の設定に対して、加瀬亮さんという役者のキャラクター(人柄)が優しすぎた気がする。

瀬文というキャラについては、行動動機の面で根幹に関わるSATの部下、志村優作との関係の描写の弱さも気になっていた。
途中では少し盛り返していたが、同じシーンを繰り返し流していたのが不味かった。

瀬文でのミスマッチの分を、戸田恵梨香さんが頑張って補っていたと思う。
戸田さんの演じる当麻紗綾(とうまさや)は滅茶苦茶な設定の超人キャラクターだが、戸田さんが上手く「人間味」「馬鹿馬鹿しさ」「神秘性」を共存させる事に成功していた。
素晴らしい戸田さんの演技だった。

筆者はドラマ『SPEC』の少し後に放映されたドラマ『鍵のかかった部屋』についても好きであるが、『鍵の~』ドラマにも、戸田さんが準主役(青砥純子役)として出演していた。
青砥は法律事務所に勤務する正義感の強い新人弁護士役で、当麻とは全く異なるキャラクターだが、真摯さと清楚さを両立させ、こちらも素晴らしい演技だった。

SPECドラマ感想まとめ

総合的に見て、個人的にドラマ『SPEC』は100点満点で60点の出来と思う。
キャストと演技、音楽の良さ、「超人+刑事」という新機軸、堤監督の演出等も、『トリック』の頃から見ている堤幸彦ファンとしては十分楽しめた。

マイナス面は脚本が中盤以降破綻気味だったこと。
『SPEC』という作品を成立させるなら、論理性は破綻させるべきではなかったが、中盤以降のご都合主義で強引にストーリーを推し進めてしまった結果、ロジックがおざなりにされ、最後はファンタジーになってしまった。

組織「アグレッサー」(警視庁公安部公安零課。政府でもごく一部の人間しか知らない秘密組織)とSPECホルダーの暗闘を描く等、他にも展開が考えられた筈だ。
一話の時点では、凄いドラマになると思ったが、途中十分楽しんだとは言え、最終的にはそこまでの域には届かなかった。

SPEC続編のSICK’Sについて

なお、SPEC続編であるSPECサーガ完結篇「SICK’S 〜内閣情報調査室特務事項専従係事件簿〜」(2018年放映)はテレビの地上波でなく、ネットサービスのParavi(パラビ)でのみオンエアされるということになった。
Paraviで有料料金を支払わないと見られないドラマとなり、残念だった。筆者もまだSICK’Sは見ていない。

『SICK’S』については、テレビでなくネットの有料サービスということで、不満や残念という声が多かったように記憶している。
また、『ケイゾク』や『SPEC』ほど話題になっていなかったようだ。

『SICK’S』はAmazonプライムでも配信されていて、プライム会員はエピソードの1部「恕乃抄」*2は無料で見ることが出来る。

ケイゾク・サーガがどのような結末を迎えたのか、『SICK’S』についてもいずれ見てみようと思う。

*1:「おバカなミステリー」もしくは「バカバカしいミステリー」Wikipediaより

*2:1部「恕乃抄」は2018年4月1日配信。2部「覇乃抄」は2019年3月23日配信。3部「厩乃抄」は2019年9月15日配信。

ドラマ・映画レビューカテゴリの最新記事